医学の誤謬
自観叢書10編『神示の健康法』昭和25(1950)年4月20日発行
そもそも、健康を語るに当っては、何よりも病気そのものの実態を把握しなければならない事はもちろんである。しかるに現代医学の病気の解釈は、驚くべき程の過誤に陥っている。何よりの証拠はこれ程医学が進歩したというにかかわらず、感冒の原因すら今もって判明しないというにおいてをやである。この事から順次詳説してゆくが、元来病気なるものの原因は実は自然の生理作用で、この理はあらゆるものに共通している。例えば万有一切は物心共に必ず汚穢(おえ)が溜るが、それと正比例的に清浄化する自然活動が発生するのである。実に寸毫(すんごう)の差もない自然原則である。これを大にしては天地の間に汚穢が堆積するから暴風雨が起り、風で吹払い雨水で洗い、天日で乾かすのであり、小にしては人間の家屋内に塵埃が溜ればハタキで払い、箒(ほうき)で掃き、ゴミ溜へ捨て、そのゴミを一個所に集めて焼却するという順序である。これと同様な事は人体にも言える。人体といえども常に何らかの原因によって霊肉共に汚穢が堆積するので、それに対する自然浄化作用が発生する、それが病気である。何よりの証拠は浄化発生するや発熱する。それは堆積した毒素は時日の経過によって固結するから、その固結溶解のための熱で、それによって固結は溶解し液体となり、喀痰、鼻汁、発汗、尿、下痢等によって体外へ排泄されるのである。しかるにこの浄化過程は苦痛が伴うので、この苦痛を称して病気と名づけたのである。従ってこれによって体内は清浄化し健康は増すのであるから、病気とは健康増進のための自然生理作用で、これ程結構なものはない訳である、全く神の恩恵の最大なるものというべきである。
この意味が今日まで全然判らなかったため反対に解釈して生れたのが現代医学である。実に想像すら出来ない程の誤謬に陥っていたのみか長い間それにいささかも気付かなかった事は不思議というの外はない。それがため今日まで幾億の尊い生霊が犠牲になったかを考える時、転(うた)た暗然たらざる得ないのである。このような誤謬から出発した医学である以上、進めば進む程邪道に深入りし、本道から益々隔絶するに至るは当然である。何よりも病理と実際との喰違いははなはだしいのである。これに対し迷蒙者はこれを解決するには医学を一層進歩せしめなければならないと解し、ますます努力研鑚するのであるから大問題である。嗚呼何たる悲惨事であろうか。この実態を凝視する時もしこの誤謬の発見がないとしたら人類の将来はいかになりゆくや、真に逆賭(ぎゃくと)し難いものがあろう。さて右の理論を順次解説してみよう。
(注)
転た(うたた)、いよいよ、ますます。程度がはなはだしく進んで常と違うさま。