―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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舌に代えて

『栄光』130号、昭和26(1951)年11月14日発行

 今度また、本教宣伝部から講師として、九州地方へ派遣の松井、鈴木、アザブ、鹿島の四氏は、出張に際し私の原稿を是非貰いたいというので、書いたのが左記の論説で、これを掲載する事にした。

舌に代えて
           教主 岡田茂吉

 私は今日の講演会について、直接皆さんにお話したいのでありますが、何分私の現在は仕事が余りに多過ぎて、文字通り寸暇なく不可能でありますから、舌の代りにこの原稿をかき、読ませる事にしたので、そのつもりで聴かれたいのであります。
 ここで前もって断っておきたい事は、この話のあらましは、信者よりも未信者諸君を対象としたのであります。それでこれからお話する数々は、まだ昔から何人も説いた事のない新しい説であって、少々桁外れと思うくらいであるからどなたもサゾ驚くでありましょう。だが充分心を落着けて玩味したならば暗夜に光明を得たごとく心眼が開き、幸福の門の鍵を握るであろう事を、私は確信するのであります。
 皆さん、今現在の文明世界を見て、どうお考えになりますか、言うまでもなく文化の進歩発達は驚異的である以上、大いに満足されなければならないにかかわらず、実際は何としてもそういう気にはなれないのであり、むしろ今日のごとく進歩する事すら恐ろしい感がするくらいなのはどうした訳でありましょうか。実に不思議と思うのであります。なぜなれば文化の進歩の目的は、人類の幸福を増進させる事にあるからであります。ところが現実は右の通り逆であるとしたら、その点に何か割切れない物があるに違いない。ではその割切れない物とは何でありましょうか。それはこれほど進歩した今日でも人間には安心もなければ幸福もない、どんな人でも病気の苦しみ、経済難、戦争の恐怖等が付纏(つきまと)っていて、離れないのが現実であります。そのように進歩すればする程苦しみは益々深刻となり、その人間の数も増え、大規模になってゆくばかりであります。知らるる通り今や世界の二大分野としての、アメリカ側とソ連側との対立であって、いつなんどき第三次戦争が勃発するか分らない状勢にあります。しかも今度戦争が始まったとしたら、恐ろしいアノ原子爆弾が飛び出すに決っているし、そうなったら万事お仕舞いです、恐らく世界は墓場となるか知れないのであります。何と戦慄すべき事ではないでしょうか。これが文化の進歩のお蔭としたら、これほどの矛盾があるでありましょうか、この点深く考えなくてはなりますまい。これによってみても、現在は全く文明と幸福とは、離れ離れになっており、しかもこれに気の付く者がほとんどないとしたら、世界の前途は暗澹(あんたん)たるもので悲観の一途あるのみでありましょう、ところが私はその根本原因を発見したのであります。それによって悲観どころか、今は大楽観に転じているので、このような有難い事を一人でも多くの人にお知らせしたい念願であります。それについて申したい事は、現在の文明は本当の文明ではなく片輪の文明であるという事であります。とすると誰しも意外に思うでしょうが、なるほど物質的には大いに進歩はしたが、精神的には少しも進歩していない、つまり、人体で言えば跛であります。右の脚だけ歩けて左の脚は歩けないのと同様で、例えば右の脚が物質文明としたら左の脚が精神文明であるから、この不具の左の脚も歩けるようにしなければならないのであります。ところが精神の方は何しろ目に見えない相手だから科学では駄目で、ヤハリ見えない力に依るより外ないのであります。しかしこの見えない力は生憎世界中どこを探しても見当らないし、今までとてもなかったのであります。論より証拠昔から教育や、道徳、宗教等がいかに骨を折ってもある程度の効き目はあったが、根本的効果はなかったという事は現在の世の中がよく物語っているでありましょう。
 ところがその力が今度現われたのであります。それが我救世教であるというと知らない人は恐ろしい大法螺(おおぼら)吹きと思うでありましょうが、事実は飽くまで事実であって、私はその力を神様から与えられたのであります。しかしこの事は今初めて私が唱えるのではない。二千年以上も前にすでにキリストも釈迦も立派に予言されております。ではなぜ私がそのような大任を神様から荷(にな)わせられたかというと、前にも述べたごとく現代文明は極度に行き詰まり、世界は滅亡の寸前にまで来ているからでキリストの言われた世の終りの姿であります。しかもこれは空理空論ではなく目前に迫っている現実であって、お互は今や世界的破局に直面しているといってもいいでしょう。
 そうして私は今、文明の創造という本をかいております。この要旨は現在の文明は真の文明ではない魂のない空虚な文明であるからこの文明に魂を入れて、苦しみを作っている文明を、喜びを作る文明に置換き替えようとするのであります。この本当の文明を詳しく説いたものでいわば、真文明の設計書ともいうべきものであります。出来上った上は英文に訳して全世界の各大学を始め、学界、新聞社、著名人等、出来るだけ広範囲に配布するつもりであります。これによって恐らく世界的一大センセーションを捲き起すでありましょう、そうしてこの説の根本は、人類から病気を無くし、貧乏を無くし、争いを無くすという本教のモットーである病・貧・争絶無の世界を造る、その方法を明示したものであります。もちろん争いといっても個人と共に戦争もそうであり、これを無くす事こそ、全人類を救う最も根本条件でありましょう。言うまでもなく真の文明世界とは、何よりも、人間生命の安全であります。ところが現在生命を脅すものとしては、病気と戦争の二つであるから、この二つの問題を解決する以外、他のいかなる条件が具わっても無意味であります。ところが私はこの二大災厄を根本的に解決し得る方法と力を、私は神様から教えられ与えられたのであります。従ってこのような素晴しい我メシヤ教の実体は、実は宗教ではないので、宗教を超越したところの大なる救いの業であって、全宗教をはじめ、一切を救うところの空前の大偉業であります。
 今一つ言いたい事は、現在吾々の住んでいるこの日本の現在であります。諸君も知らるる通り結核問題、食糧問題、経済問題等々、山積している難問題も本教の主旨に従えば、容易に解決されるのであります。もちろん個人としてもこの地獄の世の中にありながら、天国的生活者となり得るのであります。ところがこれほどな結構なメシヤ教でも、何や彼や誤解をされたり、迫害されたりしているが、これも御存知のごとく昔から宗教に迫害は付物で、本教などはむしろ軽い方でありましょう。最後に申したい事は、右のような私の言う事にいささかでも疑いを持つ人があるとしたら、百聞は一見にしかずで、思い切って接してみる事で、生れ変ったような歓喜の生活者となる事は、太鼓判を捺(お)しても間違いはありません。恐らく世の中に幸福の嫌いな人は一人もありますまいから、幸福の欲しい人は、遠慮なくドシドシお出で下さいとお勧めする次第であります。