悪の世の中
『栄光』174号、昭和27(1952)年9月17日発行
現在世界のどの民族もそうだが、戦争と病気の不安、思想問題、経済難等、何や彼やで苦しみ抜いているのは、誰も知る通りであるが、ここではまず日本の一々についてかいてみよう。その中での大きな悩みである経済難からかいてみるが、政府は固より、民間においての経済的行詰りは事新しく言うまでもないが、この原因についてはほとんど誰も気が付かないところにある。それは言わずと知れた悪の影響である。
まず政府事業であるが、これは官吏の悪の観念が大いに災いしている。もし官吏諸君が出来るだけ悪を避けるとしたらどうであろう。一切の支出は国民の血と汗で納めた税金である事を考えるから、無駄な金など費う気になれないし、また執務時間の浪費も慎むから大いに能率も上り、役人の数も今日の半分くらいで充分間に合うだろう。しかも誠意をもって事に当る以上、万事スムーズにゆき国民の気受もよく、今日のように役人を恐れたり、軽蔑したりするような風潮はなくなるであろうし、親しみ深く尊敬も受けるようになるのはもちろんである。
その上御馳走(ごちそう)等の暗い面などもなくなるから汚職問題なども起らず、安心して委せられる。としたら調査監督の必要もなく、裁判問題も起らないから、国家経済上どのくらいプラスになるか分らない程であろう。また個人的にも御馳走酒の飲過ぎや、無意味な不衛生もないから健康も増し、生活も豊かに家庭円満となるのはもちろんである。その他政府事業に付物の裏面運動もなくなるから、総てが非常に安価となり、この点の利益も予想外なものがあろう。以上並べた事だけでも実現が出来たとしたら、政府の予算は今の半分でも余るくらいで、税金も大減額となるから、国民はどんなに喜ぶかしれない。
次に民間の事業会社にしてもそうである。従業員全部が悪の精神から脱却出来ればどうなるであろう。何事も誠意をもって仕事に当る以上、対外的にはコンミッションや御馳走政略、運動費等の支出もなく、掛引や誤魔化し等も極く稀になろうし、取引は円滑となり、余計な暇もかからず、気持よく商売が出来ると共に、生産も増すからコストも低くなるので大いに捌(さば)け、殊に輸出方面は世界無敵となるであろう。しかも最も喜ぶべきは今日のごとき労資の軋轢(あつれき)は影を没し、円満協調、和気藹々(あいあい)として楽しみながら生産に当る以上、能率は素晴しくよくなり、その結果収入も大いに増し、生活の心配など消し飛んでしまうだろう。そのような社会となったら、金庫番も要らず、帳簿にしても、今のように二重三重などの面倒もなくなるし、五人も六人もの税務官史が毎日のように不快な交渉の必要もなく、一人か二人で二、三時間話合えば事済みとなろうから、双方の利益も大きなものであろう。
そんな訳で万事能率がよくなり、勤務時間も今より半分くらいで済むばかりか、儲けも多いから慰安設備なども充分に出来、生活の楽しみは今とは比べものにならないであろう。また重役や幹部にしても社員の面従腹背などの不愉快は消えてしまうから、気持よく明朗となり、事業の繁栄は請合である。
次に政治の面を見てみると、これはまたいかに巧妙な悪が行われているかは、誰も知る通りで、心から国家本位、人民本位など考えている役人も党員も寥々(りょうりょう)たるものであろう。なるほど国家人民の利益も考えない事もあるまいが、利己的観念が強く、何事も自己本位、自党本位であるのは事実がよく示している。そうして反対党の意見となると是が非でも必ず反対する。全く反対せんがための反対で、その見苦しさは御話にならないが、今日は当然のようになっている。また議場での反対党に対する弥次、暴言、喧燥等も浅間しいばかりか、果ては腕力沙汰にまでの醜態で、丸でナラズ者の喧嘩を見るようである。
ところで総選挙も一カ月後に決定したが、これについてもいささかかいてみよう。今日まで大部分の議員は公明選挙ではなく、金銭や情実のためがほとんどであろうから、前記のような逆選良が多いのである。従って民主日本となった今度こそ恥しからぬ人物を出したいものである。もっとも今度は公明選挙などといって、大分自覚したようだから今までよりはよくなるであろうと思う。政治面はこのくらいにしておいて、次は一般社会を見てみよう。知っての通りどこもかしこも悪ならざるはなしの現状で、どこの家庭をのぞいても大抵は夫婦は固より、親子、兄弟の争い、朋輩同志のいがみ合いなどお定りで、円満な家庭はまことに少ない現状である。その他親戚知人などとの仲違(なかたが)い、裁判沙汰等もよく聞く話であるが、近来流行の親身の殺傷沙汰に至っては、情ないのを通り越して、恐ろしい気がする。その他空巣、掻払(かっぱらい)、強窃盗、詐欺、横領、万引、掏摸(スリ)、タカリなども毎日の新聞を賑わしている。ザットかいただけでこのくらいであるから、世の中の悪ときたら底なしの泥沼のようなものであろう。要するに今の世の中は、お釈迦さんの唱えた通りの苦の娑婆には違いないが、その苦を生む因はことごとく悪であるから、現代は悪による被害者ばかりの社会といっても過言ではなかろう。全く一日といえども安心して生活出来る人は万人に一人もあるまい。その中で不安の一番大きなものは、何といっても病気である。いくら泥棒が怖いといっても、戸締さえ厳重にすればまず防げるし、貧乏も健康で働きさえすれば解決出来るし、処世上充分注意をしていれば、裁判沙汰などもまず起さずに済むが、ただ病気と戦争だけは今のところ絶対不可抗力である。しかしこれも深く検討してみると、悪から発生したものである以上、帰するところ一切の災いは悪が因である以上、これを除くのは宗教より外にない事は余りに明らかである。ところが世の識者たる者これが分っているのか分っていないのか、吾らには判断がつき兼ねるが、どんなものであろう。