微熱というもの
『栄光』120号、昭和26(1951)年9月5日発行
この微熱というものは、現代人にない人は恐らくあるまい、ただ意識しているといないだけの相違であろう、ところがこの微熱なるものは、案外人体に対して、大きな影響を与えているもので、それを今かいてみよう、まず頭痛、頭重(ずおも)は固(もと)より、精神集中力も乏しく、散漫となり記憶力が減退し根気がなく、何かにつけて億劫(おっくう)がり、始終体が重懈(おもだる)く、ともすれば寝転びたがる、また食欲も薄く、好き嫌いが多く、水気のものを好み、飲料を欲しがり、性質も怒り易く、気が塞ぎ世の中が面白くなくなるから、悲観的に物を考えたがる、ヒステリーもこれであって、すべてが消極的で、晴天の日よりも雨天の日を好み、風邪を引き易く、鼻が詰まったり、耳鳴がしたり、扁桃腺炎が起り易い、また急いで歩いたり、坂を上ったりすると、息切れがし、足が重くなる、という訳でザットかいただけでも、このくらいだから、仲々馬鹿にはならないものである。
すべてがそんな訳だから友達付合もよくない、人々と円満にゆかず、家庭にあっては夫婦仲も悪く親子兄弟達ともしっくり合わず、いつも自分の言い状を通したがり、自分の行いに理屈をつけて、気まま勝手な振舞をする、この場合自由主義などは、最もいい口実である、そんな訳で家庭が面白くないから、どうしても忌わしい事が起り易い、近来家出娘や家出息子の多いのも、そんなためもあろう。酷いのになると、一家心中という破局的運命にまで陥るのも、右の原因もあるであろう。
そればかりではない、これを社会的にみた時、多くの人は、それぞれ自分勝手な理屈をつけたがるので調和も欠け、詰まらない事でも、直きに議論となったり、争わずに済むような事でも争いたがる、これらも余りに自分本意のためであろう、これらは政治方面に多いようである、また団体内で一つの問題を討議する場合等、どうもヤッサモッサが多すぎ、一致点を見出すには、仲々時間が掛るのである、としても世人はその原因には気が付かないよりも、余り関心を持たないようである。
ところがまだある、右のように何だ彼んだと五月蝿(うるさ)い社会としたら、人々は気持のいい事より、悪い事の方が多いので、何かしらで紛らそうとする、そこで酒とくる、酒の売れ方が幾ら高くなっても少しも変らないのは、そのためでもあろう、それ以外苦悩から脱(のが)れようとして刺戟の強い快楽を求めたがる、若い者はキャバレー、ダンスホール、パチンコ屋やまた変な方面へ走ったりする、年輩者は年輩者で、少し余裕のある人は、お妾や花柳界に慰安を求めようとする、このように何も彼も不健全な娯楽が旺(さか)んであるのは、今日の世相である。
以上のごとくあらゆる悪の面の根本原因は、全く微熱が最大原因としたら微熱程恐ろしいものはないのである、ところがそれだけではない、微熱のために健康診断を受ける場合、結核の初期に見られ易いからこれも厄介な話だ、一度そう言われるや、絶対安静をはじめ、色々な逆療法を施される結果、何年も苦しんだ揚句、あの世往きとなるのが大部分のようで、幸に治って元通りの仕事に従事出来るような者は、恐らく百人中一人も難しいであろうとすれば、どの点からみても、微熱のない身体にしなければならないのはもちろんである。
では微熱の原因はどこにあるかというと、全く人間体内にある薬毒のためであって、それが各局部に溜結しており、緩慢な浄化作用が起るためで、これを本当に治すとしたら、浄霊以外絶対ないのであるから、本教信徒が増えるに従って、前述のごときあらゆる忌わしい事は、消えてしまう訳である、そうなったら実に気持の良い住みよい社会が出来るではないか、これがすなわち地上天国の姿である。