皮肉文学の弁
『地上天国』1号、昭和23(1948)年12月1日発行
皮肉とは皮と肉であるから、骨のない奴の戯言にして、物を直線に観、直線に語る事は攻撃の手が恐ろしいため、物を裏から見ゆがめて言う卑屈極まる奴なり、しかしながらまじめクサッて物を観る奴は融通がきかず、洒落気がなく木石同様である。こういう奴ばかりが殖えると世の中はおもしろくなくなる。今の人間、特に政治家などは理屈の枠に閉じ込められて動きがとれず、国会は揚足取りやアラ探しを事とし、屁理屈の言い合いが本職で、見物人にはおもしろくもおかしくもない。想い起こす往年の加藤高明の有名な皮肉や、高橋是清の禅味タップリの答弁など、実に興味津々たるものがあった。しかるに今日の国会はどうだ。石を噛むような答弁ばかりでウンザリする。僕は日本にもバーナード・ショウのような皮肉文学の大家の出でん事を、望むや切なりである。