―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

help

一つの苦しみ

『救世』65号、昭和25(1950)年6月3日発行

 私といえども種々な苦しみはある、もちろん現在のごとき暗黒無明の世界を切開くのであるから、サタンも提婆(だいば)も跋扈跳梁(ばっこちょうりょう)しており、嫉妬羨望迫害悪評誤解の槍衾(やりぶすま)に囲まれているようなものである、それらを突破し、この地獄世界へ天国を徐々として拡げるのであるから、その困難は想像以上である、がしかし最高神霊の偉大なる御守護がある以上、外部でみる程の苦難はないのである、ゆえに私自身としても恐らく世界中私ほど幸福であり不思議な運命の持主はあるまい事を、常に感謝している。
 とは言うものの実は人の知れない別な苦労がある、その中で最も苦痛なものを一つかいてみよう、これは言うまでもなく現代医学に関しての事であるが、これについては私は長い間口に筆にその医学の誤謬を指摘して来たのであるが、本当を打明けていうと今日まで思い切って赤裸々には言えなかったのである、出来るだけ加減をし刺戟を避けるように注意し来ったのである、何となればもし真実をはっきり露呈するとしたら大変な事になるかも知れない懸念があったからである、しかし仮に発表したくも神様から時期が来るまでは固く禁じられていたからでもある。
 私は、人間の健康と病気に関しては、神様から徹底的に示されている、そうでなければ病無き世界を造るなどという大それた事は言えないはずである、大胆に言えるという事は、絶対確信があるからである、というような訳で、人類の苦悩を解消する根本は病であるから、現在の人類を観る時余りに悲惨といわねばならない、それらを観る私は実に堪えられない悩みである、といって神様からは発表を止められるという訳で、全く板挟みの苦しみに遭っているのが現在の私である、ゆえに時よ早く来れという念願こそ、私の偽らざる心境である。

(注)
提婆、提婆達多(だいばだった)、釈迦の従弟。大変有能な人物であったが、逆恨みから釈迦とその教団に執拗な嫌がらせをした。