―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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評判と感情

『栄光』232号、昭和28(1953)年10月28日発行

 この評判の善い悪いという事は、人間の運命に案外関係があるのは人の知るところである。世間よくアノ人は評判が好いから信用が出来るとか、悪いから気をつけろなどという事が、その人の運命にいかに影響するか分らない程であろう。もちろん評判の好いに越した事はないが、これが信仰上にも大いに関係するものであるから、それをかいてみよう。というのはこの事を邪神は最も利用するもので、本教なども今までにその意味で狙われたものである。その手段として言論機関を利用したり、悪い噂を蒔(ま)いて評判を悪くしようとする。これがため本教発展の上に少からず影響を受けるのであるから、この事は中々油断は出来ない。特に個人の場合大いに心すべきである。何といっても人間は感情に左右されるもので、小さな事でも感情を害(そこ)ねる事が案外不利益で、それには我を通さない事である。つまり相手のいう事が少々間違っていても、それに合槌を打ってやる雅量である。また何事も勝とうと思わないで負けてやる事で、負けるが勝というのはいい言葉である。私はいつもその方針にしているが、結果は反(かえ)っていいものである。
 しかしただ負けるといっても、たまには負けられない事情もあるが、これは別で滅多にはない。まず十中八、九は負けた方が得となる。彼(か)のキリストが十字架に懸けられる直前“吾世に勝てり”といったのは、この真理を教えたものであろう。私の長い年月の経験からいっても負けて負けてともかく今日のようになったのである。ところが人間という者は勝ちたい心が一パイで、負けてなるものかと思うのは誰しもだが、そこを反対に考えればいいのである。