程とは
『栄光』116号、昭和26(1951)年8月8日発行
私は以前某所で、山岡鉄舟先生筆の額を観て感心した事がある、それは最初に程という字が大きくかいてあり、その次に小さく“人間万事この一字にあり”とあった、これは今もって忘れられない程私の心に滲(し)みついている、というのは、私は今日まで何十年の間、何かにつけてこの額の字を思い出し、非常に役に立っているのである。
昔からよい格言も随分あるが、これほど感銘に値いする文字はないようだ、たった一字の意味であるが、何と素晴しい力ではないかと思う、従ってこの程の字を標準にして、世の中の色々な事をみると、何にでも実によく当はまる、たとえて言えばやり方が足りないとか、やりすぎるとかいう事や、右に偏ったり、左に偏ったりする思想、金があると威張り、ないと萎(しな)びたりするというように、どうも片寄りたがる、多くの場合それが失敗の原因になるようだ、彼の論語に中庸を得よとの戒めもそれであろう、昔から程々にせよとか、程がいいとか、程を守れという言葉もそれであって、つまり分相応の意味でもある。
これについて、信仰的に解釈してみると、いつもいう通り、本教は経と緯、すなわち小乗と大乗を結べばその真ン中が伊都能売(いづのめ)の働きとなるというので、これも詮じ詰めれば程の意味である、従って人間は第一に程を守る事で、程さえ守っていれば、すべてはスラスラとうまく行くに決っている、嗚呼(ああ)程なるかな、程なるかなである。