本教と天国化運動
『地上天国』6号、昭和24(1949)年7月20日発行
本教の最大目標たる病貧争絶無の世界とは言うまでもなく全世界をして、天国化する事である。それにはまず個人を天国化し、家庭を天国化し、社会を国家を、ついには全世界を打って一丸としたる天国化であって、これこそすべての宗教が理想としていまだ達し得なかったところのものである。
ひるがえって現代の娑婆世界をみる時、その余りにも地獄相を表わしている事で、全く眼を蔽わざるを得ない状態で、実に暗黒そのものと言ってもいい。およそいかなる面にも罪悪のない所はあるまい。これに対し、為政者も宗教家も教育家も大童(おおわらわ)となって努力を払うけれども、一向社会悪が減らないばかりかむしろ増加の傾向さえみえる。
かような暗黒時代に向かって吾らは天国化せんとするのであるから、実に大胆無暴〔謀〕と思われるかも知れない。しかしながら吾らには絶対の確信がある。何となれば一度本教に入信したる誰もが、個人的にも家庭的にも一転して歓喜の生活者となるという嘘のような現実であるからである。これは何らの誇張もない。本誌のおかげばなしを見ればいささかも疑う余地はないであろう。
この暗黒無明の娑婆世界をして天国化する方法として、吾らは自観先生の揮毫(きごう)になる光の文字を弾丸のごとく発射する。この光の力が暗黒を解かすのである。暗黒の溶けるところ天国化するのは当然である。しかしこんな事を言うと第三者としては到底信じ得られまい。そんな馬鹿な事があって堪るものか、光の文字が生物のように働くなどとは迷信以外の何物でもないと言うのは無理はない。それは過去における一切の経験によって判断するからである。ところが吾々は今やキリストの唱えた最後の審判の迫れるを信じている。これは二千年前の予言であり、過去二千年間の経験にはなかったのであるから。と言ってキリスト程の大予言者が嘘を言われたはずはない。ゆえに最後の審判などという空前の事態も来ないとは言えまい。右の意味と同様に事実光の文字が有機的に活躍する事実もあり得べき事で信ずるもののみが知る特権である。この事によって吾々は天国化の実現を絶対に信じ、邁進しつつあるのである。