―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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文化的野蛮性

『地上天国』38号、昭和27(1952)年7月25日発行

 本教は知らるるごとく、病貧争絶無の世界建設をモットーとしているのであるが、深く考えてみると、右の三大災厄の根本は、何といっても人間の野蛮性がまだ残っているからである。従ってこの点に目覚めこれを払拭(ふっしき)してこそ真の文明世界が生まれるのである。では一体その野蛮性とは何かというと、全然気の付かないところに伏在している大きなものがある。その第一は医療であるが、不思議な事にはこれに気が付かないばかりかむしろそれを進歩の結果とさえしている事で、恐らくこれくらい酷い間違いはないであろう。今仮に病気に罹るやまず服薬、注射、手術、光線療法等々の外、色々な物理療法をも行うのであるが、これを冷静に検討してみる時、一つとして野蛮ならざるはない。まず第一の薬剤であるが、これは鉱物、植物、動物の臓器等から、種々の操作を経て抽出したものであって、実をいうとこれらは治病とは何ら関係はないのである。何となればもし薬剤で病気が治るものとしたら、これ程進歩した薬剤であるとしたら、病人は年々減ってゆかねばならないはずである。ところが今もって医師や薬屋の失業者、病院の経営難等はほとんど聞かないばかりか、反って結核患者は巷(ちまた)に氾濫し、ベッド不足の声は常に聞くところであり、入院を申込んでも半年から一年以上も待たなければ入れないという始末であるし、また各種伝染病にしても年々増えるばかりで、悲鳴を上げているのも衆知の通りである。
 右の事実にみても、薬剤無効果を遺憾なく物語っているではないか。いつもいう通り薬は一時的苦痛緩和手段であって、決して、治病効果などいささかもなく、彼の麻薬と同様、薬中毒者が増えるだけである。薬の方はこのくらいにしておいて、次の手術であるが、これももちろん真の医療ではない。何となれば医療とは病だけを治す方法であって、臓器や筋肉を傷害し、除去する方法ではないにかかわらず、医療は治し得ないから非常手段によって治そうとする窮余の方法でしかないのである。少なく共文化的ではなく野蛮以外の何物でもない。しかもこれを医学の進歩とさえ思うのであるから驚くべき錯誤である。いつもいうごとく手術とは貴重なる人体の一部を毀損し不具にするのであるから、もちろん一生涯一人前の人間としての役目を果す事は出来ない。また次の光線療法や物理療法にしても、大同小異であるから略すが、要するに現代医学の進歩とは、巧妙に文化の衣を着せた野蛮的行為でなくて何であろう。
 次に貧乏についてもかいてみるが、この原因のほとんどは病気のためであるから、いわば野蛮行為からの派生的産物と言ってよかろう。そうしてこの貧乏を解決しようとして、社会共産主義などが生まれたのであるが、これらも主義を貫かんとして、盲目的に平和の手段によらず、暴力や破壊手段を用いるのであるから、よしんば理屈はどんなに立派であっても、一種の野蛮行為でしかない事は今更言うまでもない。そうして今日貧乏から生まれる多くの不幸者を救おうとして、赤十字や社会補償、保険制度、救貧事業等、幾多の方策を行っているが、これらも幾らかの役には立つが、根本に触れていない以上その効果たるや知れたものである。という訳で社会不安はいつになっても解決の曙光さえ見えないのである。
 最後に言いたい事は、今日世界中一人の漏れなく、不安に脅えている問題は何といっても戦争であろう。しかも昔と違い今日は何事も世界的大規模になっている以上、戦争といっても一国と一国の争いではなく、もし始まったとしたら世界は二つに分れ、敵か味方かのどちらかに追い込まれ、中立的態度はもちろん不可能であるから、ここに大殺陣(だいさつじん)の場面となり、空前の野蛮時代が出現するであろう。以上のごとくとの方面から観ても現代は標題のごとく、文化的野蛮時代といってもあえて過言ではあるまい。