生神様
『救世』62号、昭和25(1950)年5月13日発行
よく私に初めて面会した人が異口同音に言う事は、実は御目にかかるまではとても近づき難いお方で、お付きが傍についており最敬礼でもしなければならないと恐るおそる伺ったのであるが、意外にもすべてが余りに簡略率直で唖然としてしまったというのである、なるほど世間一宗の教祖とか管長とかいう人は、右のような大袈裟な雰囲気の中にいる事は、一般の通念になっている、このような訳で、以前よくそういうやり方を希望した部下もあったが、私としてはどうもそういう気にはなれないので今もって相変らずの普通人的のやり方である。
しからば、私のこの生神様的でないのはどういう訳かと知りたい人も沢山あるであろうから、ありのままの心境をかいてみよう、元来私の生まれが江戸ッ子であるためもあろうが、私は若い頃からどうも気取る事を好まない、というのは、いつも言う通り私は偽りを非常に嫌う結果、装ったり、道具立てをしたりする事は一種の偽りであり、衒(てら)いでもあると思うと共に他からみても一種の嫌味である、結局有るがままが一番好いという事になる。
まず今日の私の境遇からいえば、生神然と神殿の奥深く納まっており、人に面会を許す場合いとも勿体らしくする方が値打があって良いかもしれないが、どうも私は嫌である、そんな訳で私が常に思っている主義としては私の態度やり方が気に入らない人はおよしなさい、気に入った人はお出でなさいと言うだけである、しかし日に月に発展して行く実情をみては気に入る人の方が多いに違いないと満足している次第である。
ここで今一つ言いたい事は私の天性は大いに変っていると思う、というのは私は人の真似をする事が非常に嫌いだ、前述のごとき生神様らしくしないのもそんな訳である、どこまでも外面は普通凡人的でありたいと思っている、これも型破りであろう、ところがその性格が大いに役立って浄霊という画期的治病法発見となったのである、また信者は知らるるごとく、文字を書いた紙片をお守りにすれば治病力を発揮したり、神仏を同一に取扱ったり、地上天国の模型を造ったり、芸術に力を入れたり、宗教臭さを避けたりする事など、数え上げれば型破り的種類は実に多いと思う、これについて先日婦人公論の記者が来訪した時、実に驚いたというから聞いてみると、仮本部の玄関から入ると、宗教味がさらにないのは不思議と思ったとの事であった、もちろん今後万般にわたり宗教的事業を行う計画であるが、およそ型破り的ならざるものはない積りであるから、大いに期待されたいのである。