医者は果して無責任か
『栄光』114号、昭和26(1951)年7月25日発行
よくおかげ話の中には、お医者の無責任という事を云われているが、これを見る毎に私はどうも気に添わないものを感じる、というのは実際からいって、人の尊い命を預かっているお医者様としたら、そんな無責任など絶対あり得るはずはないからである、事実上どんなお医者さんでも、早く治そう、助けてやりたいと一生懸命心を砕き、手を尽すのは当然である、こういう訳で、たまたま患者の思うように病気が快くならなかったり、呼んでも来てくれなかったり、診察に来ても余りハッキリ言わなかったりすると、何だか無責任のように思うのである。
右のような訳だから、御医者さんこそいい面の皮というべきで、またよく聞く事だがお医者さんが“これは軽い病気だから、直き治りますよ”などといわれるので、患者もその家族もその気持で安心していると、予期に反し仲々治らないので、重くなったり、不幸の結果になる事も往々あるので、悲歎の余り恨んだり、非難を浴びせたりする事もすくなくないようである、また中には大した病気でもないのに、注射をするや間もなく死ぬ事や、生まれて間のない赤ン坊に、注射や手術をするので、痛がり泣き喚(わめ)き、親としては見ていられない程だが、治したい一心で堪えていると、散々苦しんだ揚句、死ぬというような事もあるので、その親たる人は“どうせ命のないものなら、あんな余計な苦しみなどさせてくれない方がよかった”と、お医者を恨む事さえある。
まだ外に色々あるであろうが、要するにお医者さんは、真面目に一生懸命骨折りながら、治らないので、事実患家から喜ばれるよりも喜ばれない方が多いようであるから、全くヤリ切れまいと吾々もお察しするのである。
以上の例によってみても判るごとく、色々な職業中、今日のお医者さんくらい割に合わない職業はあるまい、ところがそこに誰も気の付かない点に重大原因があるので、その原因こそ吾々が常にいうごとく、現代医学というものは、治りそうにみえて実際治らないものであるからである、しかし今日までその点に気が付かなかったため、医学は進歩していると思い込み、これで病気は段々治るようになると教育されて来たので、お医者さんもそれを信じ切っているのである、私はいつか医学に騙されている医師という論文をかいた事があるが、今もこの説の間違っていない事は、事実がよく証明している、つまりお医者さんは医学に迷信していると云ってもよいので、しかも当局も一般もことごとく同様であり、その本元である学者さえも、やはり既成医学の理論を信奉し、これを進歩させさえすれば、病気は治るものと思っているのである。
この医学迷信こそ、世界中一番大きな迷信であって、これを打破しない限り病無き世界などは痴人の夢でしかないのである、ところがこういう吾々の方を迷信呼ばわりをするのであるから、全く主客転倒はなはだしいと言わねばならない、何よりも医学と吾々の方との治病の効果を比べてみれば、事実がよく立証している、ここにおいて吾々が冀(こいねが)うところは、一日も早くこの迷夢を醒ます事でそれが一日早ければ早いだけ、人類は救われるのである。