神無月
『光』28号、昭和24(1949)年9月24日発行
この間、ラジオの宗教時間中、神無月(かんなづき)について某教教師の話があったが、どうも納得のゆかない点が多々あるから、吾々の見解を述べてみよう。
神武天皇以前の日本は史上明らかなごとく出雲朝が統治していた、その時の中心は、彼の大国主命であって、大国主命は素盞嗚尊(すさのをのみこと)の後継者である、素盞嗚尊は朝鮮から渡来し覇権を握ったのである、早くいえばその当時朝鮮が日本を支配した訳である、それがため毎年十月出雲大社の裏手にある日の御崎(ひのみさき)から、船で故郷へ帰られ一カ月後再び日本へ帰還する事となっていたので、その事は今も大社の神官が説明している――という訳で、十月は須佐王尊(すさのをのみこと)が御留守になるから神無月といったのである。
右の意味であるから、最早今日は神無月という事は何らの意味はないのである。