―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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結核の原因・結核は治る

自観叢書第1篇『結核と神霊療法』P.16、昭和24(1949)年6月25日発行

 これからいよいよ結核の説明にかかるが、今までに述べたごとく、感冒という浄化作用停止を繰返すため、ついに肺炎という猛烈な浄化作用を作り出した訳であるが、この肺炎と同様の浄化が至極緩慢に発生する、これが肺結核の初期病状である。さきに述べたごとく感冒の浄化停止を行い、一旦は還元し健康状態を呈するが、実際の治癒ではないばかりか、毒素追増とあいまって病症は悪質となり執拗性となる。これが結核の特異性である。故に感冒のごとく簡単に治らない。長びく、症状は衆知のごとく微熱、咳嗽、倦怠感、食欲不振、頭痛、盗汗(ねあせ)、不眠、神経質、羸痩(るいそう)等である。これを簡単に説明すれば、微熱は浄化熱であり、咳嗽は喀痰の吸引作用、倦怠感、食欲不振、頭痛、盗汗等は発熱のためであり、不眠、神経質、羸痩は貧血のためである。女性においては月経閉止を見るが、もちろん貧血のためである。
 右のごとき症状は、緩慢なる毒素排除作用であるから、放任しておけばほとんど治癒するのであるが、病理不明の医学は遮二無二浄化停止を行う。その方法は何人も知る通り絶対安静を金科玉条とする。安静は運動停止であるから、これくらい衰弱させるものはない、その他あらゆる手段を尽して浄化停止を行うのである。元来浄化作用なるものは、健康である程旺盛であるから、浄化停止の目的を達するには、衰弱させるの一途あるのみである。この理の証左として結核は最も生活力旺盛である青年時代に起こりやすいという事実で、その時期は低抗力が最も強盛時代であるからである。しかるに医学の解釈は低抗力が薄弱であるから、結核に罹るというのであって、全く反対の解釈である、ところが低抗力の薄弱であるところの老年になる程少ないという事実は私の説を裏書しているではないか。
 結核について今一層判りやすく説明してみよう。それは最初医家が結核の初期と診断する時実は肺はなんら異常はないのである。その際肺臓内に若干の喀痰が滞溜しているためであって、ラッセル、レントゲン写真の雲翳(うんえい)がそれである。もちろん、微熱、咳嗽等の症状が伴うのは軽微の浄化によるのである。そうして右のごとき肺臓内の喀痰は何のために発生したかというと、いかなる人といえども、体内あらゆる局所に毒素が集溜し、固結している。しかも右の局所とは意外にも頭脳、股間、鼠蹊部淋巴腺、腕、脚、腎臓部等を主として、全身随所に毒結があり、それ等が浄化によって液体化すると共に、即時肺臓内に浸潤滞溜する。それが第二次浄化の発熱、咳嗽、吐痰を待っているという訳であるが、肺炎のごとき強烈な浄化であれば短期間に排泄し得るが、結核の場合はそれが緩慢であるため、長期間にわたり喀痰は逐次的に肺臓内に浸潤増量するのである。
 しかるに、医療は極力浄化停止を正しき療法と誤認しているから、咳嗽、喀痰を恐れ、その排除を停止しようとする。停止された以上次々浸潤の喀痰は累積増量し、病勢は悪化の経路をたどる事となる。そこで医療はますます安静その他の衰弱手段を講じ固めようとする。これを一言にして言えば、人体の方は溶して出そうとする、医療の方は固めて出さないようにするという、相反する敵味方的闘争を続けるという訳である。近来唱えらるる闘病という言葉はよくこれを暗示している。結核療法が長年月にわたるのは右の理を知れば何人も肯(うなず)かるるであろう、この事の例として患者が安静に背き、いささかでも身体を動かすとか神経を使うとかすれば必ず発熱する、これは浄化力が復活するからである。
 ここで、今一つの重要事を書かなければならない、それは肺臓内における喀痰が、時日を経るに従い漸次腐敗する。いかなる物質も腐敗すれば微生物発生は万物共通の原則である。しかも体温は微生物発生に都合のいい協力者である。すなわちこの微生物が結核菌である、したがって、結核黴菌発生の原理は、彼の有名なパスツールによれば伝染であると唱え出したので、それまでの定学説であった自然発生の理論が覆えされた事は有名な話であるが、これはどちらも真理ではない。実は自然発生の場合と伝染の場合と両方の原因がある。しかるに結核菌は自然発生であって決して伝染病ではない。何よりの証拠は私は二十数年にわたって、実地経験によって得た結論である。私はあらゆる手段をもって感染せしめようとし、まず私の子女六人を試験台として十数年にわたってあらゆる方法を試みたが、一人も感染しないばかりか、六人共今日溌剌たる健康の持主である。また私の弟子の中には、結核患者に茶を呑ませ、その場でその飲んだばかりの縁へ唇を当て飲む事は数知れないが、今もって何事もない。その他出来るだけの手段をもって感染の試験をしたが何ともない。私の家には結核患者の二、三人は常に滞在して仕事に従事しており、なんら消毒等は行わないが、まだ一人の感染者もないのをみても明らかである。
 以上によってみても、結核伝染説は全く誤謬である事は、断言してはばからないのである。
 ここで医診と医療の説明を簡単にしてみるがレントゲン写真は前述のごとくであり、空洞は喀痰が腐敗し肺胞を侵蝕するのであるが、これは喀痰を除去すればある程度原型に復すのである。近来流行の気胸療法は、空気の圧力で片肺の呼吸運動をある程度制限し、喀痰を固める方法であるから、一種の浄化停止であって効果は一時的である、血沈とは濁血は毒素分が多いため沈下が速い。濁血の持主は病気に罹りやすい、罹った場合も治癒力が弱い事等の測定である。喀痰にも新しいと古いのがあるのは当然で、新しい程透明であり、次が白色、次が青色、最も古いのは黄色黒色である。そのような痰になると悪臭があるからよく判る、しかも結核菌はこの古い痰に発生しているのである。
 次に、結核に似て非なるものに粟粒(ぞくりゅう)結核と肺壊疽(えそ)がある。粟粒結核は結核末期に起こりやすいものである、なぜなれば、腐敗喀痰は強毒であるため、肺胞にカタルを起こすからである。これは喉頭結核も同一の理であって、喉頭結核者の特徴である声が嗄(か)れるのは、声帯弁膜に喀痰の猛毒が触れ、粘膜にカタルを起こすからである。また肺壊疽は肺膜付近に腫物が生ずるので、多くは最初肺膜の外部に出来、漸次腫脹し肺臓内にまで侵入する。この病気は吾々の方では簡単に治癒される、その場合患者は必ず血膿の悪臭ある多量の吐痰をするが、これは腫物が開孔または破裂し血膿が出るので腫物の場合と同様である。
 ここで結核について、医家が解釈のつかない事実を体験される筈である。というのは結核患者がすこぶる執拗な高熱が持続する場合がある。解熱剤、氷冷、注射等を行うもさらに効果なく、主治医が首を傾げ歎声をもらす事がよくある。今この理を説明してみるが、これは解熱法に対する反動熱である、もちろんこれは末期の症状であって、最初は微熱であるが、その当時無熱ならしめんため解熱剤を使用し一時的解熱はするが、翌日は発熱する。また解熱剤を用いる、というように解熱剤を持続する結果反動熱が漸次強力化し、ついに不可解な高熱となり、それにつれて解熱手段も漸次強化するという具合で、結局四十度位の高熱となるがこの場合医家は判断に苦しむのである。無論その結果急激な衰弱によって大抵はたおれるのである。ところが意外にも吾々の方法ではこの原因不明の熱を解熱さす事ははなはだ簡単である。それは一切の解熱法をやめ放任しておけば一旦はすこぶる高熱になっても、漸次解熱するのである。これは私の永い経験上、例外なく成功したのである。