―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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結論

『天国の福音』昭和22(1947)年2月5日発行

 私は既存医学の誤謬を余す所なく説いたつもりであるが、読者は読み了(おわ)っていかなる感想が湧起したであろうか、恐らく余りにも意想外なる新説に驚歎されたであろう。
  人間が最大貴重としている生命を一日も延長し寿齢の長からん事を冀(こいねが)うと共に、健康の完(まった)からん事を欲求する事は、あまりにも当然であ る。その目的を達成せんがための医学の在り方であるに拘わらず、実はその事自体が健康を破壊し、寿齢を短縮させるというのであるから唖然たらざるを得ない と共に、私のこの発見が、全世界に対しいかに未曾有(みぞう)の重大問題を提供するかという事である。もし今日においてこの発見が無かったとしたら、全人 類の未来はいかになりゆくであろうか、洵(まこと)に慄然(りつぜん)たらざるを得ないのである。その最悪の結果としては人類の滅亡であり、そうでないと してもある程度の大減少の暁発見なし得たとしても、滅亡直前においての挽回は蓋(けだ)し容易ならぬものがあろう。
 以上は人口問題に関しての将 来観であるが私は他の面に向かっても検討すべき問題がある。それは戦争と飢餓である。これらの問題についても、古今東西あらゆる碩学、その時代の卓越せる 政治家、識者等の頭脳によって検討し尽されつつも、なお未だ解決の緒にも着かないという現実は何を物語るものであろうか。それは問題の根本に触れないがた めである。しかるに私はこの問題についての解決方策をも発見し、あわせてここに述べんとするのである。
 しからば、その解決策とは何ぞやという に、これは前人未見の説であるから、読者はそのつもりで熟読されたいのである。そもそも戦争発生の根本原因としては国家の構成分子たる個々人の性格であ る。今日までの戦争原因のそのほとんどは英雄の野望と、封建的軍国主義者等の企図による事は明白であるが、またそれらに引入れられ、賛同し、援助するとい う、国民にも一半の罪はあるであろう。従ってまず考えなければならない事は、その時代における好戦国人民個々人の性格の検討である。言うまでもなく平和を 欲せず、争いを好むという意念である。
 私の発見によれば、争いを好むという性格は帰するところ不平不満と愛の欠乏からであり、その原因としては 不断における不快感である。そうして不快感なるものを分析する時他動因と主動因とあり、他動因とは偶発するところの悪事情であるが、これは時間的に大半は 解決さるるものである。しかるになんら悪事情なきに係わらず、主動因である不快感は取除けようがない事は誰しも知るところである。しかもこの主動的不快感 は、普通事情までも悪事情化する恐れがある。事実常に不平不満、後悔、愚痴等を連発する人はこの種の人で、またこの種の人は自己反省がなく、不平不満の原 因を他動的に解釈し勝ちである。その表われとして人を怨み、社会を呪い、排他的観念に陥りやすいのである。彼の共産思想が個々人の不幸の原因がある程度自 己の罪にもある事を閑却し、社会事情に因るとなし、それを闘争によってのみ解決出来得るとするゆえんもここに在るのであると共に、資本家の横暴もまた愛の 欠乏による事はもちろんである。
 この意味において戦争の原因が、人間個々人の不快感にありとすれば、その不快感の除去こそ問題の根本的解決であ らねばならない。しかるに、それは本医術によってのみ解決なし得るのである。何となれば不快感の原因が薬毒であり、薬毒保有者は常に身体のいずれかの部分 に浄化発生があり、そのためであるからである。しかるにいかなる人といえども不快感は何のためなるやを知らず、先天的自己の性格と信じ、ただ漫然と不愉快 なる生活を営んでいるに過ぎないので常に人を嫌忌し、怒りやすく悪いと知りながら争わすにはいられない、不利と知りながら勤勉になり得ないという――その 事がまた不平の因となるという訳である。
 かく観じ来る時、戦争の原因を除去する方法としては、薬剤を人類から廃止する事と現在個々人が保有している薬毒を除去する以外ないのである。従って本医術の普及こそ平和確立の根本義である事を知るであろう。
  そうして以上述べた以外貧乏の問題がある。貧の原因が、小にしては個人としての霊肉共に不健康であるからであり、大にしては戦争とそうして悪政治のためで ある事はいうまでもない。従って本医術によって健康も、戦争も、貧乏も解決なし得るとしたら、光明輝く地上天国出現といえども、あえて夢想でない事を知る であろう。
 本書に対し『天国の福音』という題名を付したゆえんもここに在るのである。