逆効果の説
『栄光』124号、昭和26(1951)年10月3日発行
どうも世の中の人をみると、骨折ってやったり、いいとしてやった事が、思うような結果が得られないのは、全く逆効果という事を知らないからで、言い換えれば理外の理を弁(わきま)えないからでもある、今これを説明してみるが、これを読んでこの理屈が分るとしたら、案外に得をする場合があろう、まずそれについての例を挙げてみるが、信者中の先生格になっている人達などによくある事だが、自分の値打をより高く見せようとし、偉く思われようとする考えがあると、人から見て肚の中が見え透き、反って偉く見えなくなるものである、だからどこまでも控え目な態度で、下座に満足するような人は、反って偉く見えるものである、また自分の手柄話をしたがる人もあるが、これも聞きいいものではなく、聴く人は苦々(にがにが)しく思うもので、また衒(てら)う事もいけない、ただ事実ありのままを言うのが、一番好感を持たれるし、何事も内輪に話をする方が、奥床しく見られるものである、また人を世話する場合なども、恩に着せるような言い方は慎むべきで、反って有難味が薄くなるものである。
右はホンの一部分の話であるが、何事にも逆効果があるから、よくその点を考えてやると案外結果がよいものである、いつかも私は会いたくない人が、度々人を介して言って来るので、仕方なし会ってやったところ、その人はいわく「メシヤ教とはどういう神様ですか」と訊(き)くから、私は一向分らないというと、今度は「明主様は世の中の先の事は、何でもお判りになるでしょう」というから、私は神様でないから、サッパリ判らないと言ったところ、失望したとみえ、それっきり来なくなった、またこちらは買いたいし、先方は売りたい土地などあった場合、訊いてみるとつけ込んで高い事をいうので、しばらく放っとくと、先方が気を揉(も)んで訊きに来る、すると私の方は、もう要らなくなったというと、先方は本当にして、非常に安くするのである、以前私を騙して金を出させようとする人が随分来たものだが、そういう時先方が言わない先に私の方から金に苦しんでいるので、どこか金を貸すところはないかと訊いてやると、先方は黙って帰ってしまったものだ、またこの人は将来役に立つと思うと、私はワザと冷淡にする事がある、するとその人は反って一生懸命に、いい仕事をするので、こういう人こそ立派な人として、重く用いるようにする、まだまだ色々あるが、この逆効果という事を心得ておくと、大いに役立つものである。