恐怖を除く
『光』44号、昭和25(1950)年1月7日発行
吾々の目標とするところは、常に言うごとく人類救済にあるのである、としたら、人類救済という事は一言にして言えば、人類社会から一切の恐怖を除く事である、もちろんその最大なる恐怖としては病気であり、貧困であり闘争である。
右の三大恐怖の中その主座を占めているものは何といっても病気である、病気の恐怖ほど常に人間を脅かすものはない、何人といえども一生を通じてこの不安から全く免れるものは一人もないといってもよかろう、次に第二の恐怖としては貧乏であるが、その原因の大方は病気からであるのはもちろんで、この病気の恐怖こそはいかに文化が進歩しても減らないのみか、むしろ増しつつあるとさえ見らるる事実である、ところで今日病の原因はほとんど黴菌としているから黴菌の恐怖に至っては昔人(せきじん)には見られない程である、それがため健康診断、各種の予防注射、レントゲン写真等あらゆる手段を講じつつあり、それがため保健所や療養所、官私の病院や国立療養所、町医等々病患を防止するためのあらゆる施設は至れり尽せりと言ってもいい程で、これらに要する莫大な費用と労力は計算の出来ない程で民衆の負担もけだし容易ならぬものがあろう。
次に貧困の恐怖であるが、この原因の最大なものは前述のごとく病気であろう、これがため個人としての療病費の多額や、罹病中の職業の放擲(ほうてき)等による損害はもとより特に患者が主人である場合、不幸の結果は遺族の生活難は免れ得ないところである、終戦後犯罪激増の大半はこれらの原因も大いにあろう、もちろんそもそもの原因が戦争のためもあるが、戦争の被害は一時的で病気の方は永久的であるにみて最も深刻性がある。
次に戦争の恐怖もいかに大きな悩みであるかは、今現に世界人類が嘗(な)めつつある事実によっても明らかである。というのは米ソ間の深刻な摩擦で戦争がいつ勃発するか判らない状勢にまで切迫している事である、しかも原子爆弾という空前な恐るべき武器が表われた今日としては、もし第三次戦争が始まったとしたら、人類の破滅は必至であるとさえ言う学者があるくらいだから想像に難からずで、今日人類にとってこれ程の恐怖はあるまい。
以上の三大恐怖の解決こそ人類に与えられたる一大課題である、実に今日までの人類はあまりにも苦悩の絶間ない世界であった、この世に確かに神がありとしたら神の大愛はこのような世界をそう永く許容し給うはずはない。
必ずやこのような苦悩の時代は打切りとなって善美なる地上天国が生れなければならないはずである、何よりもこの事を絶対確信している吾らは不動の信念をもって邁進しつつあるのである、キリストの天国は近づけりと予言された意味もこの事でなくて何であろう。
以上の意味によって右の三大恐怖の解決こそ宗教の真の使命である事を痛感するのである。