子供の不良化
『救世』59号、昭和25(1950)年4月22日発行
近来、子供の不良化が社会問題として取上げられているが、これに対し適切な回答は与えられていないようである、今日見らるる種々の不良化防止論ははなはだ末梢的で、一つも問題の核心に触れていないのは遺憾である、これについて吾らが信ずる絶対的防止法をかいてみよう。
何よりもまずその根本がいずこにありやをはっきりさせる事で、それには子供と親の関係を考えるべきで、これを最も判りやすく言えば、親が木の幹であるとすれば子はその枝である。ゆえに幹の方を閑却しておいて、枝が腐朽するのを止めようと骨を折るのだから、ナンセンス以外の何物でもない、子供の不良化の原因が親にある事を充分知る事こそ、問題解決の根本条件である。
吾らはまず霊的方面から解剖してみよう、いつも言う通り親と子は霊線によって繋がれている、ゆえに親の霊が曇っていれば霊線を通じて子の霊も曇る、これが子供の不良化の原因である、この理によって子の霊を曇らせないようにするのが不良化防止の方法であるから、何よりも親の霊を曇らせないようにする事である、ところがその理を知らないから親は間違った考えを抱き、意識するとせざるとにかかわらず罪を犯すので、それが曇りとなり子に写すので、どうしても親たる者は常に善を想い、正を行い自己品性の陶冶(とうや)に充分心掛くべきであって、それ以外決して効果ある方法はないのである。
右は霊的解釈であるが、今度は体的説明をしてみよう、それは子供は親に見習い、親の真似をしたがるもので、これは誰も知っているところである以上、親が不正を思い不善な行為をする以上、いくら巧妙に隠しても一家庭内に在る以上いつかは子供に知れるに決まっている、子供は親でさえあんな事をしているんだから、俺達がやってもいいじゃないかという考えが起るのは当然であるという訳で、詮じ詰めれば子供の不良化とは親の不良化であるといっても間違いはあるまい、ゆえに子の不良化とは親の不良化の暴露でしかない訳になろう。
世間の親たる人々よ、右の説をよくよく玩味し、良い子を願うとしたら、御自分がまず良い親となる事である。