―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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狐霊に就て

『地上天国』8号、昭和24(1949)年9月25日発行

「日本人と精神病」の項目に述べたごとく、前頭内の貧霊は必ず不眠症の原因となる事はもちろんで、それは右側延髄部付近に固結があり、それが血管を圧迫するからである。また狐霊が憑依する場合、前頭部を狙うのはさきに述べた通りで、前頭内は人体を自由に支配出来得る中心機能があるからである。それを憑霊はよく知っているからそこへ憑依し、自由自在に人間を操るのである。狐霊はこの人間を自由にするという事に非常な興味をもつばかりか、狐霊の数は日本だけでも何千万あるか判らない程で、彼らにも団体があり、その首領があり眷族も無数にある。その大きな団体としては伏見、豊川、以前あった羽田、王子、笠間等で、その他中小団体は全国到るところにあり個人の家でも祀ってある事は衆知の通りである。狐霊界には稲荷の眷族と野狐(やこ)との二種がある。もちろん野狐は人間界の無宿者と同様であるから、彼らは稲荷に祀られたい欲求をもって常に活動している。狐の中にも産土神の家来となっている良質のものもあるが、大部分は不良狐となっている。そうして狐霊は人を精神病にしたり、人に罪悪を起させる事を非常に好むもので、最も悪質なのは殺人または自殺等を行わしむる奴さえあって、その手腕によって仲間から重んぜられ、巾(はば)が利くという事は、人間界で与太者やヤクザと同様である。狐霊の悪い奴になると数十人の殺人を犯した事を得々という事さえある。
 狐霊の性格はちょっと人間では想像もつかない点がある。というのは彼らは実に饒舌家で、一分の休みもなく喋舌(しゃべ)り続けるのである。精神病者が間断なく自問自答している事があるが、これは狐霊との問答で、患者の耳に断(た)えず聴えるのである。医学ではこれを幻聴というがこれと同じく霊が見えるのである。よく患者が空間を見詰めて恐怖したり、泣いたり笑ったりする事があり、医学はこれを幻覚というが、これは霊界に実在するいろいろの霊や、霊の動きが見えるのである。その場合時によっては患者に狐霊が憑依し、その霊視力を利用し狐霊の仲間が霊界に在って化装するのであるから、万物の霊長たる人間も、狐霊の意のままに翻弄される訳で、実に情ない話である。以上の例として私が経験した数例をかいてみよう。

一、二十五歳の男子、時々憑依する狐霊があるらしいので、私は霊査し、次のごとき問答をした。
 私「あなたはどなた?」
 彼「こなたはこの肉体の祖先で、百八十年前に死んだ武士で、○○○○というものだ」
 私「何のために憑りましたか?」
 彼「望みがある」
 私「どういうお望みですか?」
 彼「俺を立派に祀って貰いたい」
 私「承知しました。ではあなたの武士であった時は何という主君で、何代将軍時代ですか?将軍の名は何といいますか?年号は何といいますか」――と次々突っ込んで訊くと、シドロモドロになった彼は、遂に兜(かぶと)をぬいでしまう。
 彼は俄然態度が変り、いわく、
 「ヤッしまった。駄目だ。俺は穴守の眷族だ、騙そうと思って来たけれども、とうとうバレチャった」――といいながら、早々帰ってしまった。狐霊にもそれぞれ名前があって、三吉とか虎公とか、白造とかいうような簡単な名前で態度も言語もベランメー式である。数日経つとまた憑依したので、私は霊査したところがやはり先祖の名を語り騙そうとしたが、私がそれからそれへと質問するので、こいつも遂に降参してしまった。彼いわく「この間俺の友達の○○というのが来てバレたので、今度は俺なら巧くやれると思って来たがやっぱり駄目だ。よそへ行くと大抵巧く騙すが、この肉体に憑ると不思議にバレちゃう」というから、私は「お前等のような木葉狐では駄目だから、この次は穴守の親分を連れて来い」と言ったら、彼は「親分は来ねえよ」――と言って帰って行った。
二、二十四歳の人妻、猛烈な精神病を私が治したが、その経過が面白い。狐が蟠居〔踞〕していた。前頭部から移動すると共にもちろん覚醒状態となった。それから肩から胸部、腹部、臀部というように、漸次下降し、最後には肛門部から脱出したのである。それまでに約半年くらいかかった。ところが面白い事には移行しながら彼のいる所で必ず何か喋舌っている。私は時々聞いてみた。「今どこにいるか」と聞くと「胸のこの辺にいます」と指さす。「何かしゃべっているか」――と聞くと、「ハイ、コレコレの事を喋舌っています」というが、喋舌る事柄は、愚にもつかない事ばかりである。そうして初めの内ははっきり判るが時日の経つに従い言語は漸次小さくなり、ついに肛門から離脱する頃は、ほとんど聞えるか、聞えないくらいであった。ところが不思議な事は、狐霊の言葉は発声地が体内であるから、外部からの普通の声とは違う。内部から内耳へ伝達する訳で、いわば無声の声である。これらも将来霊科学的に研究すれば、有益な発見を得るであろう。
 狐霊の最も好むのは患者を驚かす事で、例えば「今大火事があるから早く逃げろ」というので患者は、裸足で飛び出す事がある。また大地震があるとか、誰かが殺しに来るとかいって、患者を逃走させるかと思えば、「コレコレの所に、天国があって美しい花が咲き、立派な御殿があり、実によいところだから俺が連れて行ってやる。けれども彼世(あのよ)にあるのだから、死ななくてはいけない」といって連れて行き、川へ投身させたり縊死させたりするような事もよくあるのである。右の婦人もそういう事が度々あった。一時は三人の男がつききりで警護したのであった。
三、石川某という彫刻師があった。彼は、精神病の一歩手前の症状で、どういう事かというと、家で飯を食おうとするや、幻聴がある「石川お前が今食う飯には毒が入っているから危ないぞ」との声に、彼は箸を捨て、外へ飛出し、藁麦屋へ入る。また食おうとすると、同様の事をいわれるのでまた、寿司屋へ入るというように、一日中、諸所方々を巡り歩いて、空腹のまま帰宅するという訳であった。
 夜は夜で、彼が二階に寝ていると、家の前を話しながら通ってゆくらしい、数人の声が聞える。その声は「石川は悪い奴だから、今夜殺っつけてしまう」というので驚いた彼は、終夜びくびくしながらマンジリともしないというのである。
 私は「雨戸が閉って、しかも二階で往来を通る人の言葉がはっきり聞えるはずがないではないか。また本当に君を殺すとしたら、ヒソヒソ話ならとにかく、大声で話し合う訳がないではないか。それはみんな、狐が君をからかうのだ。また食物に毒が入っているというのも、狐がからかうのだ。町の飲食店で、毒を入れたらどうなる。殺人罪でジキに捕まるではないか。そんな馬鹿馬鹿しい事は、あり得べからざる事だ。また人間の姿が見えないのに、声だけ聞えるという、そんな馬鹿な事がある得るはずがない。みんな狐が騙すのだから、今後人間がいなくて、言葉が聞える時は全部狐の仕業と思えばいい。狐は暴露したと思うと詰らないから止すものだ」といってやったところ、それから間もなく平常通りになったと言って喜んで礼に来た。
四、自動車の運転手、二十七、八歳の男の精神病を私は治したが、正気に返ってから病中の事を色々聞いたところ、彼のいうには、屋根へ上りたくなり、電柱や立木をスラスラ登り屋根の上を、あちらこちら駈けるように歩き、瓦をめくっては往来へ投げつける、という訳で家族の者は随分困ったそうである。彼の言うには「屋根へ上る時も、瓦の上を駈ける時も、少しも怖くない。というのは、蹠(あし)の裏が吸つくというのである。これで判った事だが、すべて、獣でも虫でも、蹠の裏が触るるや、吸引作用が起り、真空になるので、密着する訳である。逆さになって天井裏を自由に這う虫なども、そういう訳である。
五、十七歳の娘、猛烈な精神病で時々素っ裸になり、ズロース一つで暴れるので、その際三人くらいの男子がやっと抑えつける程で、そういう時、私が霊の放射をすると、おとなしくなる。これも一年くらいで全治し、数年後結婚し、子供まで出来た程、常態に復したのである。
 右の外、狐霊の憑依例は、多数あるが、右の五例だけで、およその認識はつくであろう。そうしてよく狐霊が言うには、法華経の読経を聞くのが一番好きだという。なぜかと聞くと、神通力が増すからだとの事である。それに引き換え天津祝詞を聞くのは一番嫌だという。それは苦しいからだというが、これは誤りではない。なぜなれば、日蓮宗の行者は狐を使うものであり天津祝詞を聞くと狐霊は苦しみ萎縮するからである。