―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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満足と不満

『栄光』200号、昭和28(1953)年3月18日発行

 人間誰しも満足の境地になりたいのは言うまでもないが、それが思うように得られないのが人生であって、考えようによってはこれも面白いのである。ところがよく考えてみると文化の進歩の動機は、人間の不満足な心にあるのだから、世の中というものは単純に解釈出来ないものである。つまり不満足がある程向上もし、改革も出来、進歩もされるのである。そうかといって不満がありすぎるとこれまた困る事になる。例えば争いの原因となったり、身の破滅となる事さえある。個人的には家庭の不和、友人、知己(ちき)との仲違(たが)い、喧嘩口論、自暴自棄、警察沙汰というように、危険の因となる事さえ往々ある。また社会的には過激な思想団体を作ったり、火炎瓶や破壊行動にまで発展し、内乱を起す事にもなるから軽視出来ないのである。
 また右とは反対にあいつは好人物だ、お目出度いと云われるような人間は、余り不満が起らないらしく、いつも満足してるようだがしかしこういう人間に限って、能力がないからマイナス的存在となる。とすれば満足でも不可(いけ)ないし、不満足でも不可ないという事になり、どちらがいいか判らなくなる。しかしそれは大して難しい事はない。帰するところ偏(かたよ)るのが不可ないので、両方を巧く按配(あんばい)すればいいのである。といっても口では易しいが、さて実行となると中々難しいもので、そこが人生の人生たるところかも知れない。要は千変万化どちらにも決めない融通性があって、その根本に誠があればその人は世の中から用いられ、出世もし、幸運をかち得るのである。