三日間で博士が出来る
『栄光』232号、昭和28(1953)年10月28日発行
これは自画自讃ではないが、現在私が揮っている神力のいかに偉大なものであるかは、どんな言葉でも表現は出来まい。というのは古往今来これ程超人間的力の経験は、人類史上嘗(かつ)てなかったからである。これは信者はよく知っているから、ここでは未信者を対象としてかいてみよう。何しろ長い間難病のため医療を始め、世間にありとあらゆる療法は固(もと)より、色々な信仰によっても治らず、悪化に悪化を重ね、進退谷(きわま)った際本教の話を聞き、早速浄霊を受けるや、今まで想像もしなかったところの素晴しい効果に愕然(がくぜん)と驚くと共に、自分ばかりか、入信すれば人の病気まで治せる事を知った以上、何が何でも入信する事となる。
ところが二度吃驚(びっくり)、僅(わず)か三日間の教修で、直ぐに人の病気が治せるからである。そこでたまたま病人に出遇(あ)うや、最初はオッカナ吃驚、怖々(こわごわ)施術してみると、驚くべしお蔭様でこの通り快くなりましたと礼を言いに来るので、余りの不思議さに治った方より治した方が吃驚し、入信早々こんな力が自分にあるのかと思うと嬉しくて夢のような気がするので、早速御神書を読んだり先生に訊(き)いたりしてようやく分り、ここに初めて救世教の真価を知るのである。それから幾人もの病人を治したりして、信仰も固まり一人前の信者となるという訳である。
ここでよく考えてみて貰いたい事は、今日の医学博士である。博士になるまでには少くとも十数年の年月と、百万以上の金がかかるという事である。それ程の犠牲を払ってまでかち得た博士が、到底不治と匙(さじ)を抛(な)げた難病が、三日間の修業で出来たてのホヤホヤな赤ん坊博士が、たちまち治してしまうのだから、これ程理屈に合わない話はおよそこの世の中にあるまい、といっても事実は飽くまで事実である。もし嘘と思う人があったら、思い切って真相を暴(あば)いて貰いたい。私はそれを希望する。
以前私は某医師からこういう事を聞いた。それは国民全部が医師になれば、衛生も養生も健康法も必要がなくなり、それで国民保健は解決するという話なので、当時なるほどと思った事がある。ところがその頃は医学を立派なものと思っていたからであって、今日逆医学だという事が分った以上駄目に決っているが、もしそうだとしても、前記のごとく医師を作るには、大変な金と時を要するから、事実上不可能である。ところが我浄霊法は前記のごとく三日間で、博士以上の名医になれるのだから、こんな簡単にして偉大な医学はあるまいと共に、国家経済上にも大変なプラスであって、夢としか思えまい。従って全国民ことごとくが浄霊法を覚えるとしたら、ここに病なき日本となるのは当然で、国家の隆昌(りゅうしょう)は素晴しいものであろう。その結果日本は世界第一の模範的文化国家となり、各国挙(こぞ)って見習う事になるのは火をみるよりも明らかである。
諸君、何と偉大なる事業でなかろうか。