憎まれる勿れ
『栄光』113号、昭和26(1951)年7月18日発行
私は、人を憎むなという事を、かいた事があるが、それと共に憎まれる事もいけないのである、というのは憎まれると、どうしても相手の怨み、嫉妬、報復等の悪念が霊線を通じて来る、それが邪魔をして、常に不快感がまつわり、晴々としないから、仕事も巧くゆかないようになり、幸運を妨げられるという訳だから大いに注意すべきである、ところが世の中には、随分人を酷(ひど)い目に遭わせ、不幸にさせる事を何とも思わない人間が沢山あるが、それでいて成功して褒められるような事になるのを見る人々の中では目先だけしか見えないから、やはりそういうやり方が成功すると思って、真似をしたがる、こういう人が増えるから、世の中はよくならないのである、ところが少し長い目でみると、悪因悪果で、悪い奴の没落は一つの例外もなく必ず来るのである。
この理によって、年中気持よく、仕事は順調にゆき、災いも軽く済むようになるには、右と反対に人を喜ばせ、人を幸福にする事で、この実行者こそ、賢明な人と言うべきである、そうしてこの理を知らせる事が宗教の根本でもある。
だから、私がいつもいう通り、愚かなる者よ、汝の名は悪人なりとは、永久不滅の真理である。