人間の価値は正義感
『栄光』125号、昭和26(1951)年10月10日発行
およそ人間の価値を定めようとする場合、一番間違いのないのは、正義感の多少である。この人なら悪い事はしない、この人なら信用が出来る、何を委しても安心だ、という標準を置くのが、一番正確である。全くこれ以上に良い方法はないといってよかろう。すなわち正義感こそ言わば人間の骨である。正義感のない人は、骨無しの水母(くらげ)みたいなものだから危なくて安心出来ない。従って人間は何事に対しても、正邪の判断から先につけるべきで、もし先方が悪であれば、いささかも屈する事なく、正をもって対抗すべきである。この方針で世の中を渡るとしたら、一時は苦しい事もあるが、結局は必ず思い通りになるものであるから、心配は要らない。何しろこの頃の世の中と来ては、悪い人間が余りに多すぎるので、ウッカリすると直にこちらを瞞(だま)したり、利用したりして酷い目に遭わせるから、実に油断も隙もならない世の中である。だから気の弱い人は、いつもビクビクしているが、これは全く確固たる正義感がないからである。
何よりの証拠は、私の長い経験によってみてもそうである。それを参考のためかいてみるが、私は宗教家となる以前の、実業家であった当時の事だが、随分悪人に瞞されたり、酷い目に遭わされたりしたものである。しかし有難い事には、私は生まれつき人並外れて正義感が強いので、どんな目に遭っても、損得を度外しても闘ったものである。飽くまで正義を貫く方針で努力したので、それがため随分不利な事もあったが、それは一時的でいつかしら良くなり、ついに先方は負けてしまい、降参するのである。その結果最初の不利を取返えして、なお余りある程の利益となったものである。そんな訳で、いつも三つや四つの裁判事件があり、今もって続いているものもある。ある時などは私が金に困ってピイピイしていた時代、先方は金と地位に委せて、随分私を虐(いじ)め抜いたものだが、長い間には私の方が有利に展開して、先方は往生したのである。
その例を少しかいてみるが、私が小間物問屋をしていた頃、新発明の品物を作り、世界十カ国の専売特許を得、売り出したところ大いに当って三越と特約をしたり、当時の流行品ともなったので、東京の小間物小売商組合から、はなはだ自分勝手な要求をして来た。それは二種ある品物の中、一種の方だけ自分の方へ売り、外の一種を三越へ売ってくれというのである。それでは三越を踏みつけにするので、私は応じなかったところ、組合は多数の力を頼んで、言う事を利かせようとし、東京全市の小売商が連合して、ボイコットをして来たが、それでも私は諾(き)かなかったので、一時は大打撃を受けて困ったが、それをジット我慢していたところ、二年後とうとう組合の方から我を折って来たので、妥協解決がついた事がある。
今一つ面白かったのは、取引上三越の方に理不尽な事があったので、私の方から取引停止をすべく抗議したところ、流石(さすが)の三越の係も驚いて、恐らく今まで大抵な無理な事をしても、取引先の問屋の方で我慢するのが常になっていたのが、今度の君のような気の強い事を言って来た人は、今までになかったと言うのであるが、結局、私の方の主張が正しかったので、三越の方から折合って来て、解決したのである。
その後宗教家になってからの私は、自観叢書にもある通り、随分波乱重畳の経路を辿(たど)って来、その間危うかった事も一再ならずであった。何しろその頃は新宗教でさえあれば、当局は弾圧の方針を採っていたし、しかもその御本尊が軍閥と来ているから、どうしようもなかったので、実に苦労したものである。ところが今日軍閥もアアいう運命になってしまったのだから、ヤハリ正義が勝った訳である。これらの経験によってみても、今までは悪の幅(はば)る世の中であるから、善の方は一時は負けるが、それを辛抱さえすれば、必ず勝つのである。結局人間は正を踏んで恐れず式で、正々堂々と邁進するのが一番気持が良く、それが本当である。そういう人間こそ、社会の柱となり、社会悪の防塞ともなるので、健全な社会が生まれるのである。何となれば神は正なる者には、必ず味方されるからである。