六韜三略の巻
『栄光』119号、昭和26(1951)年8月29日発行
昔から六韜三略(りくとうさんりゃく)の巻という言葉があるが、これには非常に神秘があって、この謎を解く人は今までなかったようである、これを私からいえば、よく絵や彫刻にある観音様の御手に持たれている巻物に当る訳で、これを持経観音の御名で古くから伝えられているが、実は御経ではなく右のごとき神秘貴重なものである、何となれば御経のかいた巻物などは、昔からどこにもあるのでそのように人間の手に持たれるようなものを、観音様とも云われる尊い御方が手にされるはずのない事は判りきった話である、これは全く、仏滅後ミロクの世を御造りになる大経綸の、深い仕組をかかれたものに違いなく、その文字はミロクの神様の御神示をかかれたものであって、これこそ私が現在実行しつつある、多種多様の神業のプログラムで、私が見真実になった時、すでに明(あか)されたものである。
それについて、まず文字の意味からかいてみるが六踏(支那では六韜とかくが、この意味は六つの兵法という事になっているが、私は特に踏の字を用いたのである)とは六合(りくごう)の意味も含まれているがそれは別として、ここでは分り易く示してみれば、六の文字はいつもいう通り月であり、水であり、五六七(みろく)の真中であって、ちょうど現在の世界、つまり夜の世界で、これを踏んで立つという意味である、三略とは三つの計略ではなく、三つの経綸である。すなわち五・六・七、三・六・九、上・中・下、経(たて)・緯(よこ)・伊都能売(いずのめ)という訳である。
この事について、私は面白い事をかいてみるが、歌舞伎劇中の九代目団十郎の当り狂言であった歌舞伎十八番の中の、菊畑(きくばたけ)一名鬼一法眼(きいちほうげん)三略の巻というのがある、これは有名だから大抵の人は知っているであろうが、まだ見ない人のためにザットかいてみよう、彼の鬼界ケ島へ流された源家の重将俊寛が、島を脱出して窃(ひそ)かに京に上り、身を変じて軍略の指南をしていたところ、相当世に認められるようになったので、平家から招かれ、今でいう参謀格となって仕えていたのである、ところがたまたま牛若丸が虎蔵という偽名を使って奉公に入り込み、軍略を教わりながら豆々しく働いていた、その時牛若丸は一人の智恵内という家来を連れ、智恵内を下男とならせ共に仕えていたが、鬼一法眼に一人の息女があった、名を皆鶴姫といい、どちらも美貌であったからでもあろう、御定まりの恋仲になってしまったのである、そこで牛若丸はかねての熱望していた六踏三略の巻が、法眼の家の土蔵の中に隠されてあるのを知り、皆鶴姫にむかって盗み出すよう頼んだところ、何しろ恋しい男の切なる希望とて、喜んで窃(ひそ)かに土蔵の中から持出して、牛若丸に渡したのである。
ところがこれには深い意味があったのだ、それは元々鬼一法眼には深い思慮があった事とて、虎蔵の行動を知りながら見て見ぬ振りして、ワザと盗み出さしたのであった、というのは法眼の腹の中は、どこまでも源家再興にあったからである、という訳でこの法眼の深い心持を、団十郎の腹芸的所作(しょさ)でやったのだから、何ともいえない深みのある至芸で今なお私の頭に残っている、劇の内容はそれだけであるが、これを宗教的にみると、仲々神秘が潜んでいるので、それを今かいてみるが、私がいつもいう通り、義経は観音様の化身であったのである、以前私のかいた中に、艮(うしとら)の金神(こんじん)、国常立尊(くにとこたちのみこと)という神様が神代の時御隠退せられ、霊界においては閻魔大王となり、現界においては観世音菩薩と化現され、慈悲を垂れ給い、一切衆生を救われたのである、そういう訳で牛若丸の虎蔵とはすなわち艮で金神様の御名を秘されたものである、そうして鬼一法眼は伊邪那岐(いざなぎの)尊の御役をされたのである、鬼は岐であり、一は神の意味であるからである、これについて以前私は義経に生まれ変ったのだと話した事があるが右の意味にも表われているであろう、従って今日といえども伊邪那岐尊様から随分色々な事に御援けを蒙っているのでこれについての面白い話もあるが、いずれ機を見てかく事とする。