世界はどうなる
『栄光』67号、昭和25(1950)年8月30日発行
朝鮮問題を契機として世界の状勢は一変した、今まで誰しも想像していた事ではあるが長い間の冷たい戦争が遂に熱い戦争になってしまったからだ、それが目前の現実である、お隣から第三次大戦の口火としか想われない戦争が始まろうとは誰しも予期しなかったであろう、最早対岸の火災視してはおられない事態となったのはもちろんだが、と言って今日本はどうする事も出来ない無防備国家である、ただ吉田首相の言うごとく精神的援助より外に方法はない、しかしながら今後の推移によってはいついかなる局面の転回があるやも知れない事は予(あらかじ)め覚悟しておかねばなるまい。
そうして米国の戦力をもってしたら共産軍といえども三十八度線まで押込められるのは間違いはないがそれで戦争が終りを告げたとは想えない、最近の外電によれば中共軍十五万が援助の準備をしているとかの報や印度支那(インドシナ)、イラン、イラク、ユーゴー、ブルガリヤ、トルコ、ギリシャ、東西ドイツ等々もいつ発火されるか知れない危機を孕(はら)んでいる、元来戦争なるものは理屈や打算ではどうにもならない時の勢いである、スタートを切ったが最後突当るところまで行かなければ治まらないのは二回の大戦の経験によっても知らるるのである、しかも今後の戦争は最後に到れば原爆水爆の打ち合いとなるのは必定でこうなれば最早戦争ではない、破壊である、世界の破滅とはならないまでもその惨禍たるや想像だも出来ないであろう、ところでこのような怖るべき悲惨事を充分承知していながら人類はなぜ喰止め得る事は出来ないのであろうか、この疑問に対し参考のため吾ら宗教人としての見解をここにかくのである。
聖書にいわく「ヨハネは水の洗霊をなしキリストは火の洗霊をなす」とある、ヨハネの水の洗礼は既に彼の有名なノアの洪水で済んだはずである、だがしかし、火の洗霊はいまだ表われてはいない、と共にその時キリストの再臨が約束されている、火の洗霊とはもちろん霊と体二方面の浄化作用である、霊の浄化とはすなわち霊の曇りを焼滅する事で現在吾らが行っている病気治療の方法で、これも火の洗霊の一面である、ところが水素爆弾に到っては何しろ五万度という高熱であるそうだから何物をも焼尽してしまうだろう、これは体すなわち物質に対する火の洗礼である、以上のごとく世界的に霊体の火の洗霊が行われるとしたら一大恐怖であり、人類史上空前の大浄化作用である。
かくして地球上にある一切の汚穢は払拭され、拭うがごときこの地上に、燦(さん)として建設されるものそれが天国でなくて何であろう、しかしこれだけでは単なる予言にすぎないが、吾々人類はこの火の洗霊に遭っても焼かれず、滅びず、生き残る人間にならねばならない、しかしこのような幸福が可能でありやというに吾らはそれが可能である事を断言する、何となれば焼かれるという事は曇りすなわち汚穢があるからで、汚穢のない浄体となれば焼かれる理由がないからで、そのような浄体になる方法こそ最後に現れるべき絶対的救いの力に縋る事でここに警告するゆえんである。