浄化の言葉
『栄光』157号、昭和27(1952)年5月21日発行
本教は病気の事を浄化というが、これ程いい言葉はあるまいと思う。それも嘘ではなく本当でもあるからである。第一この言葉から受ける感じは、すこぶる気持がいいが、これに反し病とか病気とかいう言葉くらい気持の悪いものはあるまい。しかしよく考えてみると、この言葉も満更間違ってはいないと思う。というのは病は結構なものである事を知らないから、余計な心配する。つまり気を病むものだからであろう。
それについてよく信者同士の話合ってるのを聴くと、「お蔭でやっと浄化が起りました」とか「浄化の御蔭で近頃は、大分身体の工合がよくなりました」とか「浄化は有難いものですね」なども、実に快い言葉である。
今一つは病院という名称である。これも私は非常に悪いと思うが、実際からいえば、この名前も満更間違ってはいないと思う。なぜなれば治らないで病み続けるところであるからであろう。もし吾々の方でそういうものを造って名を付ければ、浄院というのが合っていよう。しかし人間が薬を用いなくなると、自宅で簡単に治る軽い病気ばかりになるから、そんなものを造る必要もなくなる訳である。