―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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自然力

『天国の福音』昭和22(1947)年2月5日発行

 大自然、すなわち吾々が呼吸し棲息しているところのこの世界の構成について、私の研究によれば、まず大別して三つの元素、すなわちさきに述べた ごとく火水土である。そうして現在科学及び人間の五感によって知り得たものとしては、電磁気、空気、物質、元素等である。しかるに私が言わんとするところ は、科学的にも五感によっても未だ知り得ざるところの気体すなわち霊気である。しかしながら霊または霊気という文字は今までとても相当使用されて来たが、 その多くは宗教または心霊科学の面に限られていた。それがために、霊という言葉はともすれば迷信視せられ、むしろ霊を否定する事をもって、識者の資格とさ え見らるるごとき傾向があった。しかるに、何ぞ知らん。この霊なるものの本質こそ、驚くべき力の根源であって、森羅万象あらゆる物の生成活動変化はこれに よるのであって、これを私は不可視力とも言うのである。
 右のごとくであるから、私は有知の世界を現界といい、未知の世界を霊界として説き進めてみよう。
  そもそも万有の原則として現界におけるあらゆる事象はすでに霊界に発生し運動を起こしている。それはちょうど人間が手足を動かす場合すでに意志が先に動い ていると同様の理である。しかるに、現界の事象のみによって解決を与えようとしたのが、現在までの学問の理念であった。文化が進歩せりといいながら、人類 の福祉がそれに伴わないというのも右の理によるのである。故に現界における事象を解決せんとするには、まず霊界のそれを解決しなければならない。この意味 において、病患治療といえども霊界よりの解決、すなわち霊をもって霊の治療をなす事こそ、真の治療法でなければならないのである。
 従って、人体といえども霊体は霊界に属し現体は現界に属しているのはもちろんである。そうして病気とは既記のごとく集結せる毒素の浄化すなわち毒結の解体作用であるが、その過程を霊体に当てはめる時、毒素溜結は霊体局部の曇りであり、毒結の溶解とは曇りの消滅である。
 しかるに、既存のいかなる療法といえども体の解決のみを企図したのであるから、それは逆法で、病気に対する真の解決ではなかったのである。
  霊体における曇りの解消は、病気治癒の原則であるとしたら、その曇りを解消すべき力は何か、それがすなわち人体より放射する一種の神秘光線である。この理 を真に把握せんとするには、実地治療を数年間継続する事によって徹底し得らるるのである。従ってここでは概念を得る以上には出で難いと思うから、読者はそ のつもりで読まれたいのである。
 そもそも人間の霊体とはいかなるものであろうか。この説明に当たって知らなくてはならない事は、死の問題であ る。すなわち、現体が老衰または病気、負傷、出血等によって使用不能に到った時、霊と体とは分離する、それが死である。故に死とは現体から霊体が離脱する 事である。そうして、霊体は霊界に帰属しある時期を経て再生し、現体は腐朽し土に還元する。これは人の知るところである。これによってみても霊体なるもの は無限の生命体であり、現体なるものは有限、第二義的の存在である事を知るのである。従って、人間を取り扱う上においては、霊体こそは真実の対象である事 ある。
 近代科学においてあらゆる生物否鉱物、植物等も一種の放射能を有している事はようやく知られて来た。私の研究によれば人体からの放射能は 最高級のものであって、昔人の言ったいわゆる「人は万物の霊長なり」のごとくである。そうして霊は高級である程、その元素は稀薄の度を増し、稀薄の度を増 す程機械的には把握し得られないという唯物観とは反対の理になる。故にかえって低級霊である鉱物におけるラジウム、植物における燐等の把握のほうが容易で ある。そうして、霊は稀薄であればある程その偉力は増大するという、この原則の認識こそ重要である。しかしながら人体放射能は最も強力ではあるが、人によ りその差別のはなはだしい事も想像以上であり、放射能の強力である程治病力も増大する。故に私はこの放射能を強力化するため身体の一局部に集中させて放射 し、曇りの解消に成功したと共に、各人保有の放射能力を一層強化すべき、特殊の技能発揮にも成功したのである。この両者の方法を応用し、原理を知り、経験 を積む事によって驚くべき治病能力を発現し得らるるのである。