―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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自然を尊重せよ

『結核の革命的療法』昭和26(1951)年8月15日発行

 医学では、安静を最も重要とされているが、これは前にも述べたごとく大変な間違いである。ではどうするのが一番いいかというと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないよう気儘(きまま)にする事である。例えば熱があって大儀な時は、寝ろという命令を身体がすると思い、寝ればいいのである。また寝たくない起きたいと思うのは、起きるべしと命令されたと思い、起きればいいのである。歩きたければ歩き、駈出したければ駈出し、大きな声で唄いたければ唄うがいい。というように、何でも心の命ずるままにするのが本当である。気が向かない、心に満たない事は止すことである。要するにどこまでも自然である。これが結核に限らず、いかなる病に対しても同じ事がいえる。
 食物も同様で、食べたい物を食べたい時に食べたいだけ食う。これが最もいいのである。薬はもちろん不可(いけ)ないが、食物としても薬だからとか、滋養になるとかいって、欲しくないものを我慢して食ったり、欲しいものを我慢して食わなかったりするのも間違っている。人体に必要なものは食べたい意欲が起ると共に、食べたくないものは食べるなという訳である。そうして結核に特に悪いのは動物性蛋白である。少しは差支えないが、なるべく野菜を多く摂る方がよい。ところが今日の医学は、栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、これが大変な誤りで、必ず衰弱を増すのである。本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい。動物性のもののみを食っていれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命にかかわる事さえもある。それに反して菜食はいくらしても健康にこそなれ、病気には決して罹らないばかりか、長寿者となるに見ても明らかである。これについて私の体験をかいてみるが、私は若い頃結核で死の宣告を受けた時、それまで動物性食餌を多量に摂っていたのを、ある動機でその非を覚り、菜食にしてみたところ、それからメキメキ恢復に向かったので、医学の間違っている事を知り、薬も廃めてしまい、三ケ月間絶対菜食を続けたところ、それで病気はスッカリ治り、病気以前よりも健康体となったのである。その後他の病気はしたが結核のケの字もなく、六十八歳の今日に到るも矍鑠(かくしゃく)として壮者を凌(しの)ぐものがある。もしその時それに気が付かなかったとしたら、無論あの世へ旅立っていたに違いないと、今でも思う度にゾッとするのである。
 今一つは喀血の場合である。これこそ菜食が最もいい。以前こういう患者があった。肉食するとその翌日必ず喀血するが、菜食をするとすぐ止まるという、実にハッキリしていた。これでみても菜食のよい事は間違いないのである。
 今一つは、医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、これも間違っている。それは原理を知らないからで、疲労とはもちろん運動のためで、運動すれば足や腰を活動させるから、その部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する、微熱が出れば疲労感を催す、それが疲れである。しかしそれだけ毒素が減るのだから結構なのである。何よりも運動をさかんに行い、常に疲労を繰返す人は健康であるに見ても判るである。だから草臥(くたび)れた際足や腰の辺りを触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。
 また睡眠不足は、結核には何ら影響はない、むしろいいくらいである。これは事実によってみればよく判る。何よりも睡眠不足の階級を見るがいい。旅館の従業員や花柳界の人達には、結核が最も少ないと医学でも言われている。
 これについても説明してみるが、睡眠不足だと起きている時間が長くなるから、活動の時が多くなり、浄化が余計起るからそれだけ疲れるのである。ところが逆解的医学である以上、睡眠不足を不可とするのである。今一つこういう事でも判る。それは普通朝は熱が低く、午後三時か四時頃になると熱が出てくる。これも右の理と同様で、たとえ寝ていても神経を使うから浄化が起るのである。