早期教育の弊
『光』16号、昭和24(1949)年7月2日発行
今日の人間は、智慧が発達して頭脳がわるくなったというと、変な言い方だが、実はこうである、浅智慧の上っつらの小才のきく人間が多くなって、智慧の深い、ドッシリした人間が少なくなったという意味である、これは何のためかという事である、これについて私の考察によれば全く早期教育の結果である。
早期教育がなぜわるいかというと頭がある程度発達しない時期に、学問を詰め込む、つまり発育と学問のズレである、本当からいえば人間は年齢に応じて、頭脳も身体も適度に用いなければならないにかかわらず、早期教育とは、七、八ッの児童に十五、六歳の頭脳労働をさせるようなもので全く学問過重である。
しからば右の結果はどうなるかというと、これについて一つの例をかいてみよう、私は小学校時代に柔道を習おうとしたところ、十五歳以下は習ってはいけないという、それはなぜかと聞くと、十五歳以下で柔道をやると、背丈が止って伸びないというのである、もちろん労働過重による発育停止のためで、それと同じように今日の教育をみると、十二、三歳で成人者のやるような事をやらせる事を良いとしておる、なる程一時は急速に智能が発達するから、良教育のようにみえるが、実は前述のごとく深さの発育がなく上っつらの智慧ばかり発達した思慮の浅い人間が作られる、という訳である。
事実、日本においても近代政治家などは、重厚な型の大きい人間が段々少なくなった、以前のような型の大きい重厚な人物は洵(まこと)に寥々(りょうりょう)たる有様であるにみて、教育に携わる者の大いに考えなくてはならない問題である。