大乗と小乗
『栄光』81号、昭和25(1950)年12月6日発行
大乗と小乗についてよく質(き)かれるが、この事については以前にも相当かいた事があったが、どうもまだ徹底しないようだから再び筆を執ったのである。
まず根本から説いてみるが、大乗は緯(よこ)で小乗は経(たて)である。すなわち大乗は水で、小乗は火である。だから大乗はどこまでも拡がるから無限大である。小乗は深くして高くはあるが狭い事になる。たとえばキリスト教は大乗だから世界的に拡がったが、それに引換え仏教は小乗だから拡がらない。孤立的になる。また大乗は唯物的で、小乗は精神的であるから、キリスト教によって白人文明は物質的に発展したが、仏教は精神文明であるから隠遁的で、一時は発展したが漸次衰えつつある。
また卑近な例ではあるが、日本が米国に負けたのは、日本は火でありアメリカは水であるから、どうしても火の日本は水のアメリカに消されてしまう。以上のように今日までの世界は、火の経と水の緯とが対立的であった。これについて今一つこういう点も見逃す事は出来ない。それは彼の共産主義も火であるから、赤い色である。とすればこれもアメリカの水と対立している訳である。だから最後に世界は、経と緯と必ず結ぶ事になる、すなわち十字形である。この十字形文化こそ理想世界の完成であって、キリスト教の十字もそれを暗示したものである、なるほどキリストの受難である十字架も、そういう意味もあるが、これは小さい。神ともあろうものがそんな小さい意味だけではない、右のような大きな意味も示唆している事を知らねばならない。
また、十字形とは経は霊で、緯は体であるから、どちらに偏っても本当ではない。前述のごとく両方が結んでこそ完璧である。すなわち大乗にして小乗、小乗にして大乗であらねばならない。そのように結んだ真中が伊都能売(いずのめ)という観音様のお働きになる、観音様は男であり女であるというのも、その意味に外ならない。ゆえに十字の真中に心をおくとすれば、千変万化融通無碍の働きが出来るのである。すなわち心魂を中心におく時はいとも小さいが、一度経緯へ拡がればいか程でも大きくなる。そうして経の働きは厳として犯すべからざる父のごとく、緯の働きは自由自在で春のごとく、何人(なんぴと)も懐かしむ母のごとくでなければならない。また気候にしても冬は小乗であり、夏は大乗であるからどちらも極端で、春と秋が好い気候であるからこれが十字型の真中であり、中性である。だからこの時を彼岸(ひがん)と言うのは、理想である彼方の岸、すなわち天国浄土的の気候であるから、お祝いをしたり、お寺詣りをして霊を慰めるのである。
以上によって、大乗小乗の大体は理解されたであろう。