―― 岡 田 自 観 師 の 論 文 集 ――

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智能犯インフレ

『救世』64号、昭和25(1950)年5月27日発行

 近頃の新聞を賑わしている社会記事の大半は智能犯に関する事件である、何々公団不正容疑、何々円横領容疑、何々課長の逮捕等々後から後から問題が発生する、こんな事は今までに例をみないところであろう、もちろんどれもこれも智能犯で、しかも官憲の上層部はもとより、銀行会社の枢要役目の者の多い事である、特に不思議と思うのは二十代、三十代の青年、中年の人物が中心となって活躍し、大規模な計画の下に偉方を踊らした事実である。
 要するに、これら事件の動機は巧妙に法規を潜り、人の眼を誤魔化し、一挙に多額の金銭を獲得し、贅沢三昧(ざんまい)に耽ると共に、泡よくば経済界一方の旗頭とでもなろうという野心さえ窺われるのである、吾らがいつも言うごとく唯物主観的見地から見えざるものは信ずべからずという人達である事はもちろんである、なるほどこれら智能犯罪を取締る警察、検察庁、法務庁等の機関もあり、充分取締ってはおるが、吾ら宗教人としての考えは精神的方面の機関も必要と思うのである、それによって物質的取締の欠陥を補う事になるからである、言うまでもなくそれが宗教の役割であって吾らの言をまたずとも心あるものはそう思っているはずである、いうまでもなく見えざるものすなわち神の存在を信じさせる事である。
 以上によって観る時、今日の悪世相は全く現代人が神の存在を信ぜず、唯物教育のみを詰込まれた結果、知識のみ発達し、人の眼を巧妙に誤魔化してしまえば、例え罪を犯しても差支えない、それが利口者であると信じ切っているためで、現在のごとき智能犯続出という社会現象となったのであろう。
 この理によって、法規その他の唯物手段によって極力犯罪防止の手段を講ずる半面、宗教教育によって犯罪の根源を絶つという、この両建て方針による以外根本的解決はない事を信ずるのである。