道理に従う
『世界救世教早わかり』昭和25(1950)年11月20日発行
信仰の妙諦(みょうてい)は、一言にして言えば、道理に従う事である。道理とは、道という字と理という字である。特に道という字程意義深いものはない。これを言霊学から言えば、ミは水であり、体であり、チは血であり霊である。またミは女であり、チは男である。すなわち陰と陽である。そうして文字から言えば、首に『しんにょう』(原文では部首だが表示できないため部首名で代替)をかけている。首とは人体にたとえれば、一番肝腎な道具である。手や足は斬られても生きているが、首を斬られたら生命はない。サラリーマンが職を失うのを馘(くび)を切られると言うのも面白い言葉である。そのような肝腎な文字に、『しんにょう』をかけるのだから、これ程意義深い文字はあるまい。
また、道とは一切に通じる事である。あらゆる交通機関も、電波も、光線も、人間同志の往来も道によらぬものはない。日月星辰の運行といえども一定の軌道すなわち道がある。このように道とは一切の根本である、とすれば道に外れるという事は、いかに間違っているかが判るであろう。
次に、理とは言霊上ラ行であって、ラ行は螺旋(らせん)と言う意味で、形で表わせば渦巻である。渦巻には中心があり、その中心によって伸縮自在の活動を起す。すなわち、左進右退なれば求心的となり、右進左退なれば遠心的となる。例えば本教の中心は箱根強羅であるが、強は五であり、火である。羅は渦巻であるから、火のポチが遠心的に拡がると言う意味になる。昔から在る巴の形は左進が右進になる意味で実に神秘である。またラリルレロの言霊は龍神の働きであって、龍はリウである。動かない時は渦巻の形をする。何よりも面白い事は、名前にラリルレロの入った人には龍神型が多いから、試してみると判る。こんな説明をするときりがないから、これだけにしておくが、次に理の文字を解釈すると王偏は天、中、地、火、水、土を経の棒で貫いている。ソナエは里という字である。里とは田に土をかく、田は丸に十であり、土は十一すなわち統一である、とすれば、理の意味は万有の基本的働きであり、完全という意味になる。天理教も良い名前である。よく理法という言葉があるが、ついでだから法の字も解釈してみよう。法の言霊は、ホは火であり、オは水であるが、言霊学上オはホに含まれてしまう。これはオの水によって火が燃え続ける意味である。また、文字は水を去るとかくが、これは水は緯へ流れるから乱れる憂いがある。従って、水の働きを去れば経となり、厳然たる不動の意味となる。法は犯すべからずと言う訳である。
以上の意味を総合すれば、道理の意味は判るであろう。このように大きくして意義深い文字であるから、人間はこれに従わなければならないのである。ゆえに道理は神であると言ってもいい。道理に従うと言う事は神に従う事である。人たるものいかなる事があっても、道理を重んじ道理に従い道理に外れてはならないのである。